京都伏見介護殺人事件と日本の福祉・税・移民の未来を元ヤングケアラーが考える

介護に関するニュースと私の意見

1. 京都伏見介護殺人事件

2006年、京都市伏見区で「京都伏見介護殺人事件」が起きました。54歳の男性・サダオさん(仮名)は、認知症の母・サワエさん(仮名・86歳)の介護と生活苦から追い詰められ、心中を図りました。

裁判では執行猶予付き判決となり、裁判長は「介護保険や生活保護行政のあり方も問われている」と指摘。この事件は、現場での福祉制度の柔軟性や情報提供の重要性を浮き彫りにしています。
(詳しくは👉 弁護士ドットJP「京都伏見介護殺人事件」 参照)

2. 私の体験から見える制度の課題

母が働けない状態になって、教育委員会に訴えても、生活保護課に訴えても状況は何も変わらず、当時の私は、社会の冷たさに絶望しました。24時間介護が必要で、勉強するより働き続けるしかなく、制度の知識があっても支援は受けられませんでした。

母子家庭育ちのきょうだい児の実体験

私は母子家庭のきょうだい児として育ちました。
母は弟の世話に追われ、働き続けざるを得ず、生活は苦しかった。父は養育費を払わず再婚。当時は児童デイサービスや移動支援、居宅介護(障害者に対する訪問介護)などの支援はほとんどありませんでした。
母は時間の融通が利く保険外交員、化粧品販売代理店、ヤ◯ルトのセールスレディ、そして寝る間も惜しんで深夜はワープロで文字起こしの仕事をしていました。

この状態だけでもシンドイのに、ある事件が私たちを地獄に突き落とします。

弟が小学2年生になった頃、学校から「しょーくん(私の弟)は手がかかるので見れません。教師が両手両足をつかっても3人見るので精一杯です。学校に通わせたいならお母さんが対応してください。」と言われ、転校手続きも間に合わず、母は毎日学校へ行き弟の面倒を見る事になりました。

教育委員会に訴えても状況は変わらず、母と弟は学校へ通うのをあきらめ、弟を家で見る事になります。そして私は、社会の冷たさに絶望し、母と弟のことが心配で不登校になりました。

働けなくなってしまった母は、生活保護の申請に役所に行きました。
申請時に「あなたは、夜、外に働きに出れば稼げるでしょう?女だし、水商売など色々あるでしょう?まだ若いんだから」と言われ、申請は認められませんでした。

この状況でもセーフティネットが使えない。
その上、役所の担当者に言われた心ない一言。
しかも、これ今だとハラスメントですよね。
でも、当時は、この言い分が通ってしまう時代でした。
京都伏見介護殺人事件より前の話です。

母が夜に外で働けば、障害のある弟と小学生の私が二人きりになる。
母は深夜、家でワープロの文字起こしの仕事をしていました。
その結果、生活費が足りず、母は借金と障害のある息子、そして幼い私を抱えながらの生活を続けていくことになりました。

そして、この時に作った借金の返済と日常生活の維持が始まります。
あの時の母のストレス、弟のストレスは果てしなかったと思います。
弟が徘徊だけでなく、聴覚過敏を発症したり暴れるようになったのも、この頃からです。
そして、私はと言うと暴力のターゲットになっている母を逃し、弟と戦っていました。
どんなに実際の状況を言っても、誰も助けてくれません。

この頃の私は母がいつ寝ていたのか知りません。
いつ見ても、起きて仕事と家事をしていた気がします。

そして、1年後弟は転校出来ましたが、朝の送迎が8時半頃にあり、夕方の送迎が16時頃にあります。
これでは正社員・フルタイムで働くことが出来ません。

当時はそういう環境でした。今は制度が整いつつあるので、障害児がいる家庭のしんどさはあるものの、私達のように借金地獄のドン底までは落ちないと思います。

生活保護の申請も今よりはスムーズそうです。生活保護をもらいながら外車に乗っている外国人の様子がSNSで拡散されているのを見ました。これが事実かどうか分かりませんが、それをみた私は『私たちのあのシンドさは何だったんだろう』思いました。

話が逸れたので戻しますが、この時にできた借金は、私が高校生になっても返済しきれていませんでした。そんなある日、私は担任教師から「大学の推薦取れるし、大学は行かないのか?この成績なら奨学金も無利子で通る」と言われました。
元々、進学という選択肢がなかった私は、新たな選択肢を前に悩みました。
とりあえず無利子なら損はないなと思い奨学金を申請しました。

検討の末、私は『行きたい』と思う専門学校がありました。
しかし、その専門学校は他府県にありました。
行きたい気持ちが強く、オープンキャンパスにも行き、
友達とルームシェアをして家賃を折半する話まで出ていました。

母に打ち明けたところ
「弟の事もあるのに1人にされたら辛い。
近くにいてくれないと困る。」
と反対されました。

結局、奨学金は水道代・電気代・食費、借金返済に消え、進学自体が不可能になりました。
未成年なので、使い道に反対もできず、実際困っていたので、どうしようもなかったです。
あの1年だけでも、生活保護が受けれていたらと思うと、残念です。

これが**「共依存」**という奴なんでしょうね。
でも見捨てられないんですよ・・・。
母は誰にも、特に行政には助けてもらえなかった。
それなら、せめて私が近くにいないと・・・。
こう考えてしまう所を見ると、私は今もケアラーなのかもしれません。

私は他者との会話の中で、実家で暮らしていることを答えると、
私は**「一人暮らしもしたことがない人」**の烙印を押されます。
これ二重にしんどいんで辞めてほしい所です。

今も昔も、私は私でしんどいんです。

相手としては何も知らないし、私の環境を聞いたところで、この苦痛は理解できないであろうと思います。
私も自分の人生を歩みたいけど出来ないんです。歩むために福祉事業者になったと言える状況。いつになれば私は自由になれるのか。もう解放してほしい・・・。

そもそも一般的にこのやり取りは、何気ない事なんだろうなぁと思う私がいる一方で、
なんで、こんなことで何度も傷つかないといけないんだろうと思う私がいます。

ヤングケアラー、きょうだい児としての苦痛ですね・・・。
支えるべきものがない人には、この感情は分からない。

高校生時代に話を戻しますが、
希望した専門学校を出てどう稼いでいくか。
実際に稼げるのか。

『進学したい』という思いだけでは、
卒業後の就職に関しての想定をプレゼン(客観的に説明)が、できませんでした。

そして、進学するのに家族を捨てるほどの魅力と説得材料が、当時の私にはありませんでした。
ゆえに一旦、高卒で就職。

誰も母を助けてくれない。母の頑張りがなければ、私たちも「京都伏見介護殺人事件」と同じ道を辿っていたことでしょう。

3.福祉大国スウェーデンの現実

福祉大国スウェーデンでは、長年手厚い福祉制度が維持されてきました。しかし、2015年以降の大量の移民受け入れにより、都市部で孤立や失業、社会的摩擦が増え、凶悪犯罪率も上昇しました。背景には、移民に対する教育・就労支援の不十分さ、制度利用の格差、社会参加の困難さがあります。福祉制度の負担が既存住民に集中することで不満も生まれ、社会の安定を守ることが難しくなりました。このことは、日本でも同様の課題が将来起こり得ることを示しています。

福祉大国スウェーデンの理想と背景

スウェーデンは戦後、「誰も取り残さない社会」を目指して、税金で社会保障を支える北欧型福祉を築きました。教育や医療、介護、子育て支援は基本的に無料か低額で提供され、所得に関係なくみんなで支え合う仕組みです。

1970〜1990年代には、この「高税高福祉モデル」が安定していて、国民のほとんどが政府の支援を信頼していました。スウェーデンでは、制度だけでなく「国家が生活を守る」という文化的信頼もあり、世界から福祉先進国として注目されていました。

2015年以降の転換点と、現場に起きた“ひずみ”

2015年以降、難民や移民が急増しました。年間16万人ほどで、人口の約1.6%にあたります。理念としては「人道的責務」でしたが、現場では住宅や医療、教育、仕事の支援の需要が一気に増え、自治体は対応に追われました。

統計を見ると、2018年の難民の就労率は約35%と、スウェーデン生まれの人(約80%)と大きな差があります。また都市部では、若い移民を中心にギャング間の抗争や銃犯罪も増えました。

ここで大事なのは、移民が悪いわけではないということです。問題の多くは「統合支援が追いつかないこと」にあります。教育や仕事、地域社会に参加する機会が不足すると、孤立や犯罪につながりやすくなります。

性犯罪の件数が増えている背景にも、法律の変更や被害者が報告しやすくなったことが関係しています。数字だけで「スウェーデンは危険だ」と判断するのは正確ではありません。

つまり、スウェーデンの課題は**「福祉制度が壊れた」のではなく、「理想が現実の変化に追いついていない」**点にあります。


(詳しくは👉スウェーデン政府の公式サイト『Facts about migration, integration and crime in Sweden(スウェーデンにおける移住、統合、犯罪に関する事実)』参照)

4. 税と働き手の視点

働き手としては税金の負担感も大きな課題です。財源の確保は不可欠ですが、民意として「税を下げてほしい」という声も強い。

効率化・デジタル化による行政コスト削減、資産課税や社会保険料の見直し、公共サービスの優先順位の明確化など、福祉を維持しつつ負担感を軽減する仕組みが求められます。

また、移民受け入れにあたっては、「制度の利用を前提とせず、社会参加や就労を希望する人を支援対象とする」目的以外の人は除外し、働きたい・学びたい・社会参加したい人を優先するなど、選別も不可欠です。

5. 結論

京都伏見事件や私の体験、そしてスウェーデンの事例は、現場視点・公平性・柔軟性・税のバランスが不可欠であることを示しています。

スウェーデンは、「理想の福祉が現実の社会変化に試された10年」を経験しました。

日本も少子高齢化と労働力不足の中で、支援の優先度や税の使い方を見直す時期に来ています。

日本でも少子高齢化が進む中、今後は労働力不足を理由に移民・外国人労働者の受け入れが進む可能性があります。

その際に必要なのは、「受け入れたあとの支援設計」と「地域の共存構造」を同時に整えることです。

具体的には受け入れ後の教育・就労・社会参加の支援等を整えることが不可欠です。

また、単に制度の厚さだけでなく、支える仕組みの柔軟性が問われます。

その上で考えられることは、果たして『今』この日本に、移民を受け入れ、その移民たちに働いてもらうための環境を整える財力があるのか。

人口が少なく、働き手が欲しい状態の日本にとって、移民はとても魅力的だと思います。しかし、自国だけでも崩壊しつつある日本の福祉では、受け入れ対象を絞らないと、今後の対応が困難であることは想像に難しくありません。

政策設計にこの視点を反映することで、福祉を維持しつつ、社会に貢献できる移民との共生社会を作ることが可能です。

過去の経験を踏まえ、本当に困っている人に行政や福祉の手が届く社会であることが重要です。

過去の私達のように、自国の制度に助けてもらえない人が出ないように。
今後も本当に困っている人に、しっかりと行政や福祉の手が届くことを願っています。

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